スペイン旅行記 10月17日 トレド

17日はマドリードからトレドへ。 この日の現地ガイドさんはスペイン人の男性ですが、日本語がとても上手。 昔三重県の伊勢志摩スペイン村で象嵌細工の工房で働いていてその時に日本語を学び、スペインに戻って日本語ガイドの資格を取ったという人でした。 トレドは三方をタホ川に囲まれ、ギリシア生まれの画家エル・グレコが後半生を送った頃の佇まいを今も残す町 1561年に首都がマドリードに移るまで、政治・経済の重要な拠点として繁栄し、「16世紀で歩みを止めた街」と言われる。 トレドの街並み トレドの町に入りました。 観光に入る前にレストランのパティオをちょっと拝見 路地を歩きます。 木工工房にお邪魔しました。現地ガイドさんの知り合いのおじいさん。優しそうな人でした。

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スペイン旅行記 ラ・マンチャの風車

スペインの日の出・日没時間について 日の出は遅くて朝8時半頃ようやく陽が昇りました。かといって日没がそれほど遅いというわけではなく6時頃でした。 そうは言いつつ、ラ・マンチャに到着したのは夕方5時過ぎていましたが、まだまだ明るい。 夕刻というより昼間のような感じでした。 真っ青な空に久しぶりに出会えました。 ラ・マンチャ(この名前はアラビア語の「乾いた土地」を意味する “manxa” に由来します。)地方をバスで走ると、やがて丘の上に白い風車群が見えてきます。これらの風車は16世紀、時のスペイン国王カルロス1世でかつ神聖ローマ皇帝カール5世が風力を用いて穀物を挽くために、彼の故郷で神聖ローマ帝国の領土であったネーデルランドから導入したものです。当時はたくさんありましたが、現在はその役目を終え、観光用として10基以上の風車群が残されている村は、11基を有するコンスエグラとの東約40kmにあって10基を有するカンポ・デ・クリプターナだけです。 セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」のなかで、ドン・キホーテが巨人と間違えて、槍を持って馬に乗り、突進したことであまりに有名です (以上4.TRAVELより) 私たちが行った風車はコンスエグラの方でした。 バスから降りて風車の丘へ。 風車の丘の周りはぐるっと地平線を見渡せるような感じで、なぜ平地にこの丘が出来たのだろうって思えるような場所でした。 風…

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スペイン旅行記 ラ・マンチャへ。

ゴルドバからラ・マンチャへ。(約3時間半 280キロ) 途中昼食でレストランに寄りました。 前菜は野菜炒め ラタトゥイユみたいな味付けで案外とおいしかったのですが、量が多くて。 メインはオックステールの煮込み とっても柔らかくてナイフとフォークで簡単に切れて口に入れるとすぐにほぐれる デザートはチョコレートケーキ 甘さも今までのデザートより甘くなかったので全部食べられました 一度トイレ休憩で小さなお土産屋さんに。 バスに乗っているときに大雨になったりしましたが、段々お天気も回復傾向に お土産屋さんの付近の風景 道路挟んでこちらのお店の方にいつも立ち寄るらしいのですが、この日は休みだったために小さなお店の方に立ち寄ったそうです。 大型バスが一台止まっていたので地元のおじいさんが不思議に思ったのか私たちに話しかけてきたけれど、スペイン語なのでさっぱりわからない・・・ するとバスの運転手さん(運転手さんはスペイン人)に話しかけていました。 標識も何かのどかな感じ ラ・マンチャと言えばドン・キホーテですね。 バスの中から。 お天気も良くなってラ・マンチャへ向かうのがとても楽しみになってきました。

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スペイン旅行記 メスキータ~ユダヤ人街

今回の旅行で1000枚くらい写真を撮っていました。 なかなか処理が追い付かなくて、ブログ記事も大量になっています。もうしばらくスペイン旅行記にお付き合いくださいね。 メスキータの内部も広くてたくさん写真を写しました。 大聖堂の宝物殿にありました。 中央礼拝堂 外に出てきました。 外に出てくると雨模様。 ユダヤ人街を歩きましたが雨が降ったりやんだり。 自由行動になった後私たちはツーリストインフォメーションに戻りました。 ユダヤ人街 メスキータの北側に広がる迷路のように道が入り込んだ地域。 かつて西カリフ帝国の経済を支える存在として歴代カリフに優遇されたユダヤ人はレコンキスタ終了後の1492年に布告されたユダヤ人追放令に寄ってこの街から姿を消した。 中でも花の小道は写真スポットとして有名 路地からメスキータの尖塔が見えました。

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スペイン旅行記 10月16日コルドバへ。

今回のツアーの宿泊先はバルセロナ2泊。グラダナ・セビリアに1泊ずつ、マドリードに2泊の計6泊でした。 バルセロナ・マドリードは2連泊だったので当然ホテル周辺まで覚えています。 グラナダのホテルは大きなホテルで外人さんの団体さんや日本の別のツアーの団体さんもいたりしてインパクトありました。 でもなぜかセビリアのホテルの記憶がなくて・・・・ 夜9時過ぎに到着したことと、ヒラルダの塔で雨風にあたり、気温差にやられてちょっと鼻かぜの症状。 夜風邪薬を飲みすぐ寝てしまったのでまるきりホテルの印象がありませんでした・・・ バルセロナではホテルの写真を撮っていましたが、それ以降は写していない。 やはり備忘録として写真を撮っておかないといけないですね。 16日の朝、印象がないセビリアのホテルを出発し、コルドバへ。(約139キロ) コルトバの街並みがよく見える展望スポットへ。 古代ローマ時代には、属州ヒスパーニア・バエティカの首都であった。現在でもローマ寺院やローマ橋などの遺跡が遺されている。後に西ゴート王国に支配され、6世紀には東ローマ帝国の領土になった時期もある。 711年にイスラム教徒によって西ゴート王国が征服された(グアダレーテ河畔の戦い)。756年に成立した後ウマイヤ朝はコルドバを首都とし、その中心はモスク(メスキータ)であった。10世紀にアブド・アッラフマーン3世とハカム2世の治世下で繁栄を遂げ、大図書館が建てられて多くの学者が活躍した。…

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スペイン旅行記 スペイン広場とフラメンコショー

スペイン広場と呼ばれる場所がイタリアにもありますが、こちらはセビリアのスペイン広場 スペイン広場はかつてサン・テルモ宮殿の庭園の一部だったマリア・ルイサ公園内にある。 1929年に開かれたイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られたもので、建築家アニバル・ゴンサレスの作。 広場を囲む半円形の建物の下には、スペイン各県の特徴や歴史的場面をタイルで描いた58のベンチがある。 各県のタイルのベンチの1部 バルセロナです 建物の中に入りました。 エントランスの階段もきれい。 2階からの眺め 2階バルコニー この先は立ち入り禁止になっていました。 1階は歩けました。 夜になってフラメンコショー 夕ご飯を食べながらフラメンコショーを見ました。 そう言いながらも夕食の方が早かった。 サラダや揚げ物 タコのオイル炒め 茹でエビなど大皿で。パエリアも出ましたが、写真に撮らず。 1時間半ほど、何種類かのプログラムのショーを見ました。 男女2名のショーや女2男1の3名のものやギターをかき鳴らし歌を歌いながら踊ったりといろいろなショーが楽しめました。 ショーの間は撮影禁止。 最後に撮影タイムになりました。 衣装も飾られていました。 ホテルに到着したのは夜9時過ぎ。 長い1日でした。

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スペイン旅行記 セリビア・カテドラルとヒラルダの塔

1401年にモスクの跡地に巨大な聖堂を建てようと建設を開始。 約1世紀後の1519年に完成した。 スペイン最大の規模を持つ大聖堂であり「世界3位の大きさの大聖堂」と紹介されることがある イスラム教のモスク跡地に建てられたため、平面構成は十字になっておらずキリスト教の聖堂としては異色である。隣接するヒラルダの塔は、かつてモスクの尖塔(ミナレット)だった。聖堂内部にもモスクの名残がいくつか見られる。例えば、免罪の門から入った場合は教会に入る前に中庭が存在するといったところである。 クリストファー・コロンブスの墓がある (以上Wikipediaより) まずはヒラルダの塔へ。 ヒラルダの塔は高さ97m、12世紀末にモスクのミナレットとして建設され、16世紀にプラテレスコ様式の鐘楼が付け加えられた。 97mを登りましたが、階段ではなくスロープになっていました。王様が馬で登れるようにとスロープにしたそうです。 しかし、97mはきつい!階数表示があってそれを見ながらみんなで登りましたがいったいどこまで登るの~~???なんて言いながら登っていると20階あたりですれ違った陽気な外人さんたちが「フォーティーン」と言ってくれました。私たちは「え??14?40?どっち??」そのフォーティーンの意味がよくわからなくてあと14階なのかそれとも40階あるよと言ってくれたのかとわいわい言いながら頑張って頂上に。 頂上は34階でした。外人さんはあと14階だよって言ってくれたんだ、とみんな…

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スペイン旅行記 セビリアへ

ミハス村を出てバスで約230キロ。 セビリアへ。 途中お昼休憩が入りました。 まずソバ・デ・アホ(ニンニクのスープ) ニンニクのスープとありましたが、そんなにニンニクの香りもしなくて具だくさんのオニオンスープという感じでした。 また、パンが大きい! メインはポークソテー デザートはクリームブリュレみたいな感じでしたが、とにかく甘い! 甘すぎて半分でリタイヤしてしまいました。 今回のツアーはお昼ごはんは4回。夕ご飯は3回つきました。 その時、飲み物は自腹でしたが、レストランによって飲み物代金がバラバラ。 ビールだと4ユーロから6ユーロくらい。ソフトドリンクが3~5ユーロくらいでした。 今回ユーロの両替は去年の中央ヨーロッパで両替したものが残っていたのでそれを使いました。 スペインもキャッシュレス化が進み、スーパーで買い物したものはほぼタッチ決済で済ませました。 (早速クレジットの明細を確認したら166円~167円のレートでした) レストランのビール代4ユーロとすると約660円。スプライトが4ユーロの時もあってビールとスプライトが同じ値段!?とびっくりしたこともありましたが・・・・ スーパーで缶ビールは1ユーロ以下!安いです。 飲み物も日本のようなお茶飲料などは売っていません。ミネラルウォーターや炭酸飲料、オレンジジュースみたいな糖分たっぷりの飲み物ばかりでした。 無糖茶飲料が飲みたかった! 物価はビールやワインは安いの…

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スペイン旅行記 10月15日 白いミハス村

朝グラダナからバスで約2時間の白いミハス村へと向かいました。 ミハスの街はアラビアン・アンダルシアの影響を受けて栄えたそうです。長い歴史の中で異なる文化が混じり合い、今もまだその面影を強く残しています。 ミハスの歴史は、ローマ帝国、ムスリム支配、キリスト教徒の支配といった歴史的な転換を経て現在の姿を形成しました。村には古代の遺跡が点在し、過去の面影が今も色濃く残っています ミハスの建物が全て白い理由は、気候に関する知恵と実用性に起源を持っています。モスリム時代、白い壁は太陽光を反射し、アンダルシアの炎天下でも建物内部を涼しく保つ役割を果たしていました。 (以上ベルトラより) 広場でバスを降りてミハス村の観光が始まります。 ただ、ここではガイドさんがこの村専属?の人でないとガイドできないようで、添乗員さんが説明もできないということでした。 いつも観光にはイヤホンガイドを使いますが、持ち歩かずにバスにおいてください。 添乗員さんはとりあえず展望台まで一緒に行くけれど、独り言的に話します。ということでした。 その言葉通り、バスを降りて添乗員さんがちょっと私たちに話始めると現地の係の人?が注意しにやってきました。 厳しいです。 気を取り直して・・・ 広場のお手洗いの壁面もおしゃれ 広場からてくてく歩いて石段を登り、ミハスの街並みへ。 白い壁に青い植木鉢にお花。どこもみんな同じように飾られとってもかわいい。 見ていてテンション上がり…

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スペイン旅行記 アルハンブラ宮殿2

アルハンブラ宮殿の内部はどこもとても美しくて、あちこち写真を撮っているうちにどこがどの写真かちょっとわからなくなってしまいました(;^ω^) 間違えていたりしてもご愛敬ということで・・・・ コマレス宮の回廊 「大使の間」。王に謁見するために訪れた大使が通された部屋です。見事な壁の装飾と下部に刻まれているコーランは、見るものを圧倒します。「訪れる人を驚嘆させるような内部装飾を」というユスリフ1世の命令により、このような美しい広間になったのだとか。アルハンブラ宮殿最大の広間です。 ナスル朝宮殿 イスラム建築の最高峰といわしめる職人の技術が、細部にまで散りばめられている「ナスル朝宮殿」。その豪華さ、美しさは「王は魔法を使って宮殿を完成させた」と言われたほど。天井、壁、柱1本1本、すべてに細やかな装飾が施されている ライオン宮 スルタン(王)の居住区として14世紀後半に建設された「ライオン宮」の真ん中に位置するのが「ライオンの中庭」です。12頭のライオンがシンボルになっており、コーラン(イスラム教の聖典)に書かれている天国をイメージしてつくられたのだとか。現在は石敷きですが、かつては草花であふれた庭園だったといわれています。 ライオンの噴水 ライオンというよりかわいい猫?みたい。口から噴水が出るそうです。 二姉妹の間 このエリアでもっとも古い建物です。8角のモカラベ様式の天井は、星や花がモチーフに…

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スペイン旅行記 アルハンブラ宮殿1

アルハンブラ宮殿、前日書いたように本当に入場が厳しい。 入場時間も決められていてパスポートを提示してパスポート番号を機械でスキャンしてようやく入場です。 たまにどさくさにまぎれて入り込もうとする人がいましたが、係の人に「違う!」みたいな感じで入れてもらえなかったりしました。 アルハンブラ宮殿 宮殿と呼ばれているが城塞の性質も備えており、その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていた。現代に残る大部分は、イベリア半島(アル=アンダルス)最後のイスラム王朝・ナスル朝の時代の建築とされ、初代ムハンマド1世が建築に着手し、その後のムスリム政権下で増築された。スルタン(王)の居所であるとともに、数千人が居住する城塞都市でもあった。 夏場非常に暑いと言われるグラナダの中でもとても涼しい場所に位置し、ウマの背のような形をした緑多い丘に立地する (以上 Wikipediaより) これから下の説明文は「地球の歩き方」と4.travel.jpから抜粋しました。 カルロス5世宮殿 カトリック両王の孫カルロス5世が1526年の新婚旅行でアルハンブラ宮殿の宿泊した際に建設を決めた宮殿。 円形型の宮殿が美しい 古い城壁の下に咲く花がなんとなくいい雰囲気に思えました。 アルカサバ アルカサバはアルハンブラで最も古い部分で、ローマ時代の砦の跡に、モーロ人が9世紀に築いた物。 キリスト教国の攻撃…

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スペイン旅行記 ヘネラリーフェ庭園2

見どころ ヘネラリーフェ庭園は、アルハンブラ宮殿と同時に観光できるスポットで、宮殿から徒歩で10分ほどです。たくさんの池や噴水、手入れの行き届いた樹木、薔薇やジャスミンなど様々な花が咲き誇る花壇が、バランスよく配された壮麗な庭園です。シエラネバダ山脈から引いた水を、土地の高低差を利用して、常に水が溢れ出すように造営されています。庭園の離宮は、中庭を囲む回廊状になっており、庭園だけでなく、周辺の景色も楽しめます。回廊の一角の「イスマイルの塔」からは、アルバイシンの丘が一望できます。ヘネラリーフェ最大の見所は、離宮の中心に位置する「アセキアの中庭」です。アセキアとは、中央を流れる水路という意味で、その通り、中央が細長い池で、それを囲むように、花壇や刈り込まれた木が美しく整然と並んでいます。細長い池には、手前にある小さな噴水の水盤から溢れた水が流れ込み、特徴的なアーチ状の噴水が、常に細長い池の両端から出ています。このアーチ状の噴水が有名なのですが、この中庭はスペイン・アンダルシア地方にあるイスラム建築の中で、最も保存状態が良いことでも知られています。もう一つの中庭は「スルタナの糸杉の中庭」と呼ばれています。スルタナとは、王妃の意味で、この庭で王妃が臣下の若者と密会していたという言い伝えもある、いかにもロマンチックな雰囲気のある庭園です。そのすぐそばに「水の階段」があります。この階段の手すり部分が溝になっており、そこを山からの水が流れ下りてきて、庭園の隅々まで行き渡るように造られているのです。ちなみ…

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スペイン旅行記 10月14日 ヘネラリーフェ庭園1

14日(月)朝10時40分バルセロナ発の飛行機でグラナダへ。 グラナダには12時半近くに到着。 空港からバスをしばし走らせました。 行きたかったアルハンブラ宮殿への観光が始まります。 アルハンブラ宮殿もとても予約・入場が厳しくて、このツアーを申し込んだときにパスポート番号も必要ということでした。 実際アルハンブラ宮殿に入場するとき、パスポートを持参、バーコードを読み取りました。 ここで現地在住の日本人ガイドさんと合流。 まずはヘネラリーフェ庭園に入場しました。 スペイン南部のアンダルシア地方、グラナダ(Granada)のアルハンブラ宮殿の中、カサレアルの東につくられた離宮の庭園。イベリア半島最後のムーア人の王朝(ナスル朝)の、王の夏の別荘として14世紀に小規模の離宮とともに整備された広大な庭園である。シエラネバダ山脈の雪解け水を利用して、たくさんの池と噴水がつくられ、全長50mの水路があるパティオ(Patio de Acequia)には、噴水とバラの花園が絶妙のバランスをつくり出している。庭園内の展望台からは、白壁と茶色の屋根の家が立ち並ぶアルバイシンの丘を一望できる。 (以上 コトバンクより) 木立の中を歩いて庭園の散策開始。 周りをキョロキョロしながら歩いています。 糸杉のアーチをくぐり中に。 庭園が素敵です。 庭園にはいろいろなお花も咲いていました …

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スペイン旅行記 カサ・ミラ カサ・バトリョ

サグラダファミリアを出てバスからの観光でした。 カサ・バトリョ カサ・バトリョは、1877年に建設された建物である。大繊維業者ジュゼップ・バッリョ・イ・カザノバスの依頼を受け、1904年から1906年にかけて、ガウディはこの邸宅の改築を行った。この改築でガウディは、建物に5階と地下室を加え、玄関広間を広げ、階段や内壁を作り直し、各部屋に曲線的なデザインを持ち込んで、タイルやステンドグラスの装飾を施した。 カサ・ミラ カサ・ミラ(La Pedrera – Casa Mila)はバルセロナのグラシア通りにある建築物でアントニ・ガウディが54歳の時に設計しました。(La Pedrera)はスペイン語で「石切り場」という意味があり、地元の人からもLa Pedreraと呼ばれるようになったそうです。1906年〜1912年にかけて当時の実業家であったペレ・ミラと、その妻によって依頼され建てられた住居で、地上6階建ての大豪邸です。直線部分が全くない建物で波打つ石造りの外壁がとても美しく、内部までも波打を表現しています。独創的なデザインと不思議な空間に圧倒されてしまいます。またカサ・ミラは1984年にユネスコの世界遺産に登録されました。 前回はカサ・ミラの中に入ったので是非参考にどうぞ。 https://karukitisanpo.seesaa.net/article/201309article_1.html ここでバスを降りて今日の観…

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