東京散歩 KITTEのミュージアム1

台風一過の土曜日・17日。 16日の台風通過の日は本当は出勤日でしたが、電車も初めから計画運休ということもあって、自宅待機となりました。 幸い、台風の影響も思ったほどではなかったので安心しましたが、一歩も自宅から出ていませんでした。 さすがにずっと引きこもりも辛いなと、17日は外出。 とてもよく晴れてまた暑い!室内で過ごせるところを探しました。 はじめは日本橋高島屋で開催されている田中達也展を見ようと出かけました。しかし!ものすごい行列。 入場券を購入するのに長蛇の列。そして入場できたとしても人だらけなんだろうなと思い、断念。 仕方ない、他の場所へと。 東京駅のKITTEに行きました。 エントランスには夏雲がモクモク。 2階のJPタワー学術文化総合ミュージアムに行ってみました。 夏休みのせいか、家族連れでお子さんが結構来ていました。 常設展示の東京大学コレクションなど見てきましたが、詳しい説明などはパスということで… アカデミアの展示ブースから出てMade in UMUT – 東京大学コレクション を見ました。 壁面の展示がとてもレトロでなんだかハリーポッターのホグワーツ学校のように思えました。

続きを読む

矢ケ崎公園

雲場池から再び歩いて戻ります。 なるべく車通りを避けて別荘地街を歩きました。 今はハイシーズンで別荘に来ている人たちも多く別荘の前に車が止まっているところが多くありました。 優雅な生活、ちょっとうらやましいです。 旧軽銀座を抜けて矢ケ崎公園に ここも大きな池があります。 公園の広場では盆踊りの櫓が出来上がっていました。 大賀ホールの前で大量のトンボが飛び回っていました。 ちょっとわかりにくい でもなぜあんなに飛び回っていたのかな?と不思議に思いました。 小さな虫を食べていたのでしょうかね。 このあとプリンスのアウトレットをしばし周りました。 それから姉の家へ寄りました。 結局夜10時過ぎに姉の家を出て帰宅。帰りは渋滞もなくスムーズ。 2時間ちょいで帰宅できました。

続きを読む

雲場池

雲場池まで歩きました。 木立の中を歩くのはさわやかで日差しが少なくなるので気持ちいい。 雲場池に到着しました。 池に映る青空と白い雲 池周りを散策します。 緑の中を歩くのはリフレッシュできますね。

続きを読む

群馬へGO~軽井沢

11日3連休の真ん中にお墓参りに行ってきました。 3連休とお盆休みが始まるので高速道路は渋滞かなと思い、連休2日目に日帰りで。 初日よりは道路も空いているかと思って出かけましたが、やはりそんなに甘くない。 朝6時前に家を出ましたが、もう渋滞は始まっていました。 停まって動かない、ということはなかったけれど普段よりかなり遅い。 8時半過ぎに約3時間くらいで到着しました。 お墓参りを済ませ、実家に立ち寄り軽井沢へ。 横川周辺に来るとノロノロ運転に。混んでいるな~~って思っていると原因が判明。 どうやらSLが走るようでした。 信越線沿線にたくさんの人がカメラを構えていました。 残念!知っていれば私も撮りたかったなぁ 車を走らせ軽井沢へ。 軽井沢もこの日の気温は30度くらい。やはり暑いです。でも日影で風が吹くと心地よい。 ちょっと行き返りました。 まずは軽井沢で見かけたお花を。 エキナセアがかわいいです。 ノウゼンカズラ あじさいがまだまだきれいでした。

続きを読む

バスツアー 日光二荒山神社

最後の観光 日光二荒山神社へ。 ご由緒 御祭神 二荒山大神 (ふたらやまのおおかみ)      ⇒親子3神を祀る       大己貴命   (おおなむちのみこと)     父       田心姫命   (たごりひめのみこと)     母       味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと) 子 古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)⇒標高2,486㍍を 神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と 仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。 境内は、日光国立公園の中枢をなす、日光連山をはじめとて、 御神域は、3,400㌶におよぶ広大な境内地です。   華厳の滝や下りのいろは坂、重要文化財の神橋など  日光市内に3社鎮座しています。   男体山山頂⇒ 奥宮   中禅寺湖畔⇒ 中宮祠 (以上日光二荒山神社HPより)   東照宮から二荒山神社へ向かう参道。 木立が気持ちいいです。 風鈴が飾られて涼やかな気分です。 可愛いウサギさんがいました。 御神木の親子杉 一番右の子供の杉は倒れてしまって今小さな木になってしまいました。 駐車場に近い参道から出てました。 御神木の杉の木に楢の木が宿り木として珍しい「杉楢の木」もありました。 ちょっと暗すぎてわかりませんが・・・・ 杉と楢の木が一緒ということで「好き(杉)なら(楢)一緒に」という語呂合…

続きを読む

バスツアー 日光東照宮3

眠り猫のある建物の前から陽明門の方を写しました。 この後本殿に上がり中を見ましたが、ここは撮影禁止です。 そのあとまた陽明門もくぐり下に降りて本知堂へ。 ここも撮影禁止でしたが、天井の龍が鳴くということでそれを聞かせてもらいました。 東照宮境内に立つ、家康公の守り本尊の薬師如来を祭る本地堂[ほんじどう](重要文化財)。その内陣の天井に描かれた龍が、有名な鳴龍だ。ちょうど龍の頭の真下で拍子木を打つと、「きるるるー」と残響音が響き渡り、龍の鳴声のように聞こえる仕組みになっている。 拍子木を打つ場所がちょっと違うと鳴き声が聞こえず、真下で拍子木を打つと鳴き声のように聞こえてきました。 日光東照宮は三代将軍家光公が祖父・家康公を祀るために造替されました。 ガイドさんによると家光公は他の大名たちに資金の提供など許さず全部家光公が費用を賄ったそうです。 でも五重塔だけは酒井忠勝に寄進を許したそうです。 また大名たちには灯籠の寄進を許しました。123基ある中の120基が諸大名からの寄進だそうです。 写真を撮り忘れましたが、鉄製の灯籠が2基ありました。伊達政宗公がポルトガルから輸入した鉄材を使って造ったそうです。

続きを読む

バスツアー 日光東照宮2

三神庫(さんじんこ)【重文】 上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。 また、上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。 鐘楼 陽明門をくぐります。 陽明門(ようめいもん)【国宝】 日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられています。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。 陽明門をくぐるとき天井に龍の絵がありました。 そして三猿とともに有名な眠り猫を見に行きます。 眠り猫(ねむりねこ)【国宝】 左甚五郎作と伝えられています。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。これより奥宮に通じます。 ガイドさんによるとこの眠り猫は家康公の墓所のある奥宮の前にありますが、眠っているように見えるけれど、耳を立てて爪を出しいつでも飛びかかれるようにしているということです。大きさも21cmしかないそうです。

続きを読む

バスツアー 日光東照宮1

由緒  日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社です。家康公は、天文(てんぶん)11年(1542)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立されました。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。  家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保(しょうほ)2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。  尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永(かんえい)13年(1636)に造替されたものです。 (以上 日光東照宮HPより) 石鳥居をくぐってはいると五重塔 五重塔(ごじゅうのとう)【重文】 慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されました。 表門から入ります。 神厩舎・三猿(しんきゅう…

続きを読む

バスツアー 日光山輪王寺

食後、バスに乗り込みちょっと移動。 今回のメイン、世界遺産の日光山輪王寺・東照宮・二荒山神社へと回りました。 バスを降りると専用のガイドさんがいらして、約2時間説明を聞きながら見学しました。 まずは日光山輪王寺に。 日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人(しょうどうしょうにん)により開山されました。 以来、平安時代には空海、円仁ら高僧の来山伝説が伝えられ、鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えました。江戸時代になると家康公の東照宮や、三代将軍家光公の大猷院廟が建立され、日光山の大本堂である三仏堂と共にその威容を今に伝えております。 輪王寺の本堂は日光山随一、東日本では最も大きな木造の建物で、平安時代に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂です。現在の建物は、正保2(1645)年、徳川三代将軍「家光」公によって建て替えられました。 三仏堂の前には、推定樹齢500年という、天然記念物に指定されている「金剛桜」(こんごうざくら)が植えられています。 三仏堂の内陣には、日光三所権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)という三体の大仏さま(高さ7.5メートル)と、東照三所権現本地仏(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)という掛仏の、2組の三尊仏がご本尊さまとしてお祀りされています。 (以上日光山輪王寺HPより) 本堂 とても大きな建物で金堂と書かれているものはなんと畳み6枚分もあるそうです。 本金堂の中は撮…

続きを読む

バスツアー 日光田母沢御用邸記念公園5とらんらんランチ

庭園を駆け足で散策。 タマアジサイが見ごろ 緑が清々しい 蕾の上にトンボ 緑の美しい庭園に歴史ある日本家屋がすばらしいところでした。 日光田母沢御用邸記念公園からちょっと歩いてランチタイム! 金谷ホテルベーカリーカッテージインでお昼を頂きました。 お昼のメニューはコーンスープ グリーンサラダ チキンソテーきのこソース 季節の野菜添え チーズロード コーヒー でした 丸いパンがチーズロード。 パンの中にチーズが練り込まれ軽くトーストしてチーズが溶けておいしい。 ベーカリーショップも併設されていたので1斤買って帰りました。 食後に併設されている金谷ホテル歴史資料館に行こうと思いましたが、時間があまりなかったので外観が見られるとことからちょこっと撮影 長い間日光田母沢御用邸記念公園の館内を散策してしまいました。 次は日光観光と言えばここ・・・の東照宮などへ向かいます。

続きを読む

バスツアー 日光田母沢御用邸記念公園4

皇后(貞明)御座所・皇后御寝室・御学問所(2階)・高等女官詰所などには小林家別邸部分が使用れました 小林家別邸部分 小林家別邸は日光出身の実業家小林年保が明治時代中期に建設したもので、鳴虫山を借景に、敷地内には田母沢川まで取り入れたこうだいなていえんでした。 高等女官詰所 皇后御座所・御寝室 小林家別邸部分から外を眺めました。 大きな枝垂桜がありました。春はまた美しい姿を見せてくれるでしょうね。 ふと時計を見ると集合時間まであと10分くらい。 庭園も見ないと、と慌てて外に出ました。

続きを読む

バスツアー 日光田母沢御用邸記念公園3

紀州徳川家江戸中屋敷移築部分 御学問所は創られた当時から梅の間と呼び慣わされてきました。天保11年の創建時は9帖で格挟間形の付書院と違い棚を備えた、現在よりも華やかな部屋でした。日光の田母沢に移築する前に増改築されて、現在の21.5帖の広さになりました。旧紀州徳川家江戸中屋敷当時の姿を伝えるこの部分は、書院様式に数寄屋風の意匠を取り入れることで、当主の好みを感じさせる私的な空間を作り出しています。天皇陛下の書斎として使用されました。 梅の水墨画 丸窓から見る外の景色が素敵でした。 御学問所から階段を上り御日拝所へ。 御寝室 御寝室には照明器具がなく燭台を使いました。部屋の四隅の柱に蚊帳釣金具(滑車と金具)が見られます。 1階に降りて進みます。

続きを読む

バスツアー 日光田母沢御用邸記念公園2

田母沢御用邸の館内はとても広く館内は廊下でつながっていて順路の→通りに進みました。 モノクロだとこのお屋敷の当時の雰囲気が感じられます。 御玉突所 赤坂仮皇居の初期に御玉突所があり、明治の初めから皇室では、諸外国との交遊のために、ビリヤードを嗜んでおられました。ビリヤードは四ツ玉と呼ばれる競技台で、ポケットがありません。手洗いを除く、台と照明器具等が復原されました。 その隣には次の間と謁見所がありました。 謁見所は天皇陛下が公式の来客との面会に使用された部屋です。玉座がありますが、陛下はお立ちになって引見されました。左の卓子は御帽子を置かれた台です。床の間と天井は真の書院造りでありながら、畳敷きの上に英国製の絨毯を敷き、和洋折衷様式となっていました。謁見所や御玉突所などの主に公的な役割を持った部分は、大正天皇ご即位後、御用邸での公式儀礼などが増えたことから増改築されました。桧の最良の材料や様々な技法に格式を重んじる書院造りの特徴を見ることができます。 廊下もいい雰囲気です。

続きを読む