鹿児島旅行記 ラスト

霧島神宮から鹿児島空港へ向かいます。 飛行機の時間にはまだ早いので、地図に載っていた丸尾滝に行ってみました。 丸尾温泉から霧島神宮に向かう国道223号の道沿いにある高さ23メートル、幅16メートルの豪壮華麗な滝です。 近くの栄之尾温泉、硫黄谷温泉の温泉水を集めて流れる珍しい「湯の滝」で、秋は飛沫が紅葉に映え、冬には滝から湯けむりが立ち上り、このこよなく美しい情景を見に訪れる人の波が途絶えることはありません。 四季折々さまざまな風景を楽しむことができ、山峡に豪快な音と飛沫を上げて落下する乳青色の滝は、その色だけえも独特の雰囲気を漂わせています。ライトアップされた夜は、飛沫が照明に反射してさらに幻想的な表情を見ることができます。 (以上かごしまの旅HPより) 展望台がありそちらから眺められます。 川に降りていた人もいましたが、足場が悪いのでほとんどの人は展望台から見ていました。 鹿児島空港付近で飛行機が着陸するのがよく見える場所がありました。 何台か車が止まっていて飛行機の到着を待っている人が何人もいました。 私たちもしばし飛行機の到着を見学。 JAL が出発の準備をしていました。 そして飛行機のエンジン音が聞こえてすぐ着陸する飛行機が現れました。 わぉ!大きい~~ 着陸するとすぐにまたほかの飛行機がやって来ます。 ここまで近く大きく見えるなんて感激です 空港の滑走路に入っていきました。…

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鹿児島旅行記 仙巌園~霧島神宮

仙巌園の庭園の下に大きな広場の様なところがありました。 そこに島津藩の旗が この広場で11時から日置市の鉄砲隊による鉄砲の実演が行われました。 庭園のある上からの方がよく見えたかもしれませんが、私は広場でスタンバイして一番前で見ていました。 鉄砲隊がやって来ました。 鉄砲隊の実演はもちろん鉄砲に火薬を詰めて行いました。(実弾は入っていません) 初めは大将の大筒から。 すごい音と煙が出ました。そのあと中筒、小筒と順番に鉄砲が放たれました。 いろいろ説明してくれて島津藩の鉄砲隊の兵法を見せてくれました。 とても迫力があり、初めて鉄砲隊を見られてとても楽しかったです。 仙巌園と尚古集成館をセットで見た方がいいのですが、仙巌園でたっぷり滞在してしまったので、尚古集成館には行けませんでした。 次、霧島神宮へ向かいます。 石段を登って本殿に参拝。 結構な人が並んで参拝の順序を待ちました。 御神木の杉の木 樹齢800年以上だそうです。 展望台からの風景です。 とてもいいお天気で暑くなりました。

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鹿児島旅行記 5月4日 仙巌園

いよいよ鹿児島旅行最終日です。 仙巌園へ行きました。 仙巌園は万治元年(1658年)、19代光久によって築かれた島津家別邸です。錦江湾や桜島をとりいれた雄大な景色が美しく、島津家歴代に愛されてきた御殿は迎賓館としての役割も果たしています。日本の近代化をリードした場所でもあり、一帯は「明治日本の産業革命遺産」として2015年に世界文化遺産の構成資産に登録されました。鹿児島を代表する観光地です。 (以上仙巌園HPより) 広い庭園を散策しました。 錫門 鶴灯籠 どこを見てもとても素晴らしい庭園。 望嶽楼 高枡 大河ドラマの西郷どんでも使われた石階段 赤い木肌の珍しい木 桜島がよく見える場所があり、仙巌園の外すぐに線路がありました。 電車が通るかなとしばらく待ちましたが、そういう時はなかなか電車が来ない・・・ 他の場所にいたとき何度か通ったのですが残念、そういう時には写真が撮れず・・・・ 桜島と電車も一緒に撮りたかったなぁ~~。 江南竹林 猫神 おや、猫神様にお参りしている足跡が・・・・ モノクロにしてみました。 たくさん写真を撮ったのでもう1回紹介させてくださいね。

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鹿児島旅行記 鹿児島市内

清水磨崖仏群を見た後は再び鹿児島市内に。 前日宿泊した市内のホテルとは違うホテルに。 鴨池港(鹿児島市内と垂水港を結ぶフェリー)近くのホテルでした。 ちょっと早めにチェックイン。 部屋にバルコニーがあり、そこから桜島がよく見えました。 フェリーが戻ってきました。 奄美大島へ向かうフェリーが停泊しています。 しばし休んでから繁華街。天文館通りの方面に向かいました。 車で行くと駐車場を探すのが大変なのでバスで。 天文館通はにぎやかでお店もたくさん。 天文館史蹟めぐりという地図があったので、それを見ながら銅像巡りをしました。 鹿児島と言えばやはり西郷さんですね。 本当に大きな西郷さんでした。 近くに小松帯刀像 小松帯刀 1835年、喜入領主肝付兼善の三男に生まれる。のちに吉利領主であった小松家の養子となり、小松帯刀と改名。薩摩藩家老として薩長同盟や王政復古、明治維新に尽力。維新後は参与として版籍奉還を画策するも36歳の若さで亡くなった。 五代友厚像 五代友厚 1836年(天保6)鹿児島市長田町生まれ。藩主の島津斉彬から評価され、才助という名前を与えられる。大阪の初代商工会議所の会頭となり、商工業の発展に尽力した。 街を歩き回っているうちにだんだん日が暮れてきました。 老舗のデパート 路面電車の通りに来ました。 電車が流れてしまいま…

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鹿児島旅行記 清水磨崖仏

知覧から鹿児島市内に戻る途中、地図で見つけた清水磨崖仏群 行ってみました。 万之瀬川上流,清水川右岸の高さ約20m,長さ約400mの屏風のように切り立った溶結凝灰岩(入戸火砕流)の岸壁に,五輪塔や宝篋印塔,梵字,仏像など200基が彫刻されています。彫刻されたのは,大きく分けて下の5つの時期です。 平安時代後期(大五輪塔および方眼内墨書梵字) 鎌倉時代中期(月輪大梵字,「バン」字板形塔婆) 鎌倉時代後期(三大宝篋印塔,線刻宝篋印塔群,線刻五輪塔群,線刻板碑群) 室町時代の頃(陽刻五輪塔群) 明治時代(陽刻宝篋印塔,陽刻阿弥陀如来増,陽刻十一観音像) これらの中でも,平安時代後期推定の「大五輪搭」は,高さが約12メートルもあり,日本一大きなものです。また,鎌倉時代中期の「月輪大梵字」は,大きさだけでなく,字の美しさでも日本を代表するといわれています。 (以上南九州市HPより) 清水磨崖仏群と同じ場所に清水岩屋公園があり、かなり広くてキャンプ場や広場があって家族連れがたくさん遊びに来ていました。 緑の中を歩くのは気持ちいい。 アーチの石橋を渡って清水磨崖仏群の所に行きましたが、残念ながらがけ崩れの危険があるということで磨崖仏群を真下から見ることはできませんでした。 展望台から眺めました。 ちょっとわかりにくいですが、梵字が書かれていました。 石橋と反対側からだと飛び石を渡って川を渡りました。 結構…

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鹿児島旅行記 5月3日知覧へ

知覧の武家屋敷群へ行きました。 江戸時代の知覧は当初、島津家の分家である佐多氏が地頭として治めていました。佐多氏には優れた当主が多く出て、薩摩藩の中でも重要な役目を果たしました。その功績によって佐多氏十久達の時代に、知覧の私領地化と島津姓の使用が許されました。 地区内は石垣で屋敷が区切られ、沖縄によく見られる石敢當(魔よけの石碑)や屋敷の入り口には屋敷内が見えないように屏風岩(沖縄のヒンプン)があります。知覧の港が江戸時代に琉球貿易の拠点であったことから武家屋敷も琉球の影響を多く受けているようです。 (以上知覧武家屋敷のパンフレットより) 現在公開されている武家屋敷は七か所です。 近くのお店などで入園料を支払うとパンフレットがもらえて中に入ります。 でも特に武家屋敷を見るのも各屋敷でパンフレットを確認することもないので、タダでも見られそうって思いました。 私が見た限り、皆さんパンフレットを持っていましたけれど・・・ 庭園の説明文はすべてパンフレットを抜粋しました。 まずは西郷恵一郎庭園 庭の南東部の隅に枯滝の石組を設けて高い峯とし、この峯から低く高く刈り込まれたイヌマキは遠くの連山を表現している。 平山克己庭園 母ヶ岳の優雅な姿を取り入れた借景園です。北側の隅には石組みを設けて主峯となし、イヌマキの生け垣は母ヶ岳の分脈をかたどっている。 平山亮一庭園 石組みの一つもない大刈り込み一式の庭園。イヌマキによる延々たる遠…

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鹿児島旅行記 長崎鼻~撮り鉄

長崎鼻は 薩摩半島の最南端に突き出た岬です。岬の西方には弓なりの砂浜が続き,その端に開聞岳がそびえ立っています。天気のいい日には,南の洋上に屋久島・竹島・硫黄島を望むことができます。遊歩道の一角には,篠原鳳作の句碑が建っています。隣接する赤水鼻はソテツ自生の北限地とされ,国の特別天然記念物に指定されています。 (以上いぶすき観光ネットより) またここは浦島太郎伝説も残っています。 薩摩富士と呼ばれる開聞岳がとてもきれいに見えました。 竜宮神社がありますが、浦島太郎伝説にふさわしい建物でした。 灯台に行きます。 ハートのフレームがあり灯台と一緒に写せます。かなり斜め 今回灯台にも何か所か寄りましたが、次のマイブームが撮り鉄です。 JR西日本の最南端の駅として有名な西大山駅 駅前に立つポストは、指宿を代表する花・菜の花の黄色で、幸せを運ぶポストと呼ばれています。 長崎鼻からもそれほど遠くないので行ってきました。 無人駅でホームにも出入り自由でした。 列車の到着時刻を調べるとあと20分足らずで列車が来るのでしばし待ちました。 同じように時刻に合わせてやってくる人も結構いました。 ホームの外でスタンバイ 来た~~! 木がかぶってしまいました。 電車はホームで数分停車。 写真を撮る人たちのためのサービスでしょうか。 みんなホームに入って写真を撮ったりできまし…

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鹿児島旅行記 指宿へ

今回の旅行は4月30日 宮崎県青島宿泊 5月1日 鹿児島市内宿泊 5月2日 指宿宿泊 5月3日 鹿児島市内宿泊 5月4日 帰宅 という予定で行動しました。 5月2日は鹿児島市内から指宿へ向かいました。 指宿へも一般道でちょこちょこ観光しながらの移動になりました。 途中の道の駅から見ると大きな石油タンク群 ENEOSのタンクでした。 そのせいか、ガソリンスタンドはENEOSが多い。 池田湖に寄りました。 池田湖は,周囲15km・水深233mの九州最大のカルデラ湖です。湖水は藍色に澄み,薩摩富士と呼ばれる開聞岳が望めます。体長2m・胴回り50cmの大うなぎが棲息しており,幻の怪獣「イッシー」の湖としても有名です。 (以上いぶすき観光ネットより) 開聞岳がよく見えます。 湖の周りはお花畑になっていました。 リビングストーンデージー  池田湖の後、長崎鼻に行こうと思ったのですが、標識にフラワーパーク鹿児島と出てきて、そちらに立ち寄った後に長崎鼻に行きました。 鹿児島県薩摩半島最南端の長崎鼻の近くに位置し温暖な気候と天然の松林に囲まれた地形をいかした世界各地の植物が楽しめる植物公園です。 36.5ヘクタールの広大な敷地に、南アフリカやオーストラリアなどの亜熱帯植物や温帯植物を植栽しています。 開聞岳を背景にした花広場や、鹿児島(錦江)湾を一望できる展望回廊、両サイドに壁のないウインドスルーの屋内庭園やヨー…

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宮崎旅行記 サヨナラ宮崎~鹿児島へ。

飫肥城下町を見た後は鹿児島へ向けて出発! 宮崎は日南方面のみの観光で、高千穂方面には行けませんでした。 高千穂にも行ってみたかったけれど、かなり遠い。今回は断念。 いつかまた訪れてみたいと思いました。 でも日南方面は本当に風光明媚。 美しい場所があって、来られて良かったとつくづく実感しました。 今回車でおよそ600キロ走りましたが、ほぼ一般道。 高速道路は1回だけ使用。 桜島へ向かう道だけの利用でした。 垂水市に入ると桜島が目の前に 桜島へは垂水市からだとフェリーに乗らずに橋を渡って入っていけます。 桜島に上陸です。 有村溶岩展望所から見た風景 ちょっと曇りがちで噴煙も今一つよくわかりませんでした。 また島内を車を走らせ黒神埋没鳥居へ 大正3(1914)年の大噴火で噴出した大量の火山灰・軽石は、上空18,000m以上まで上昇し、火山灰は遠くカムチャッカ半島まで飛んでいったといわれています。 ここ黒神地区にあった「腹五社神社」の鳥居は、大正噴火後たった1日のうちに軽石や火山灰に埋め尽くされました。 もともと高さ3mあったという鳥居ですが、今は笠木部分の約1mを地上に見せるのみです。 噴火後、住民は神社の神聖な鳥居を掘り起こそうとしました。 しかし、当時の村長・野添八百蔵氏の「後世に噴火の記憶を残そう」との英断により、噴火直後の姿がそのまま現在に残されています。 (以上桜島観光ポータルサイトHPより) …

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宮崎旅行記 飫肥城下町

海岸線沿いをずっとドライブしていましたが、山間部に入り、九州の小京都「飫肥(おび)城下町」へ 飫肥は、天正16年(1588)から明治初期までの280年間飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えたところです。武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣が残る町並みは、昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。 昭和53年に復元された大手門を中心に、松尾の丸や藩校振徳堂、伊東家の歴史を綴る貴重な資料が展示されている飫肥城歴史資料館があります。また、 商人町通りには樽を店頭に置いた商家や、格子に壁燈籠、番傘を飾った商家が軒を連ね、町を流れる堀割の清流など、江戸時代を彷彿とさせる町並みが楽しめます。 (以上 観光にちなんの旅HPより) 飫肥城跡に入る前に豫章館に入りました。 藩主伊東家の屋敷と庭園。 豫章館(よしょうかん)明治2年に造られた藩主伊東家の住まいで、広い屋敷地に主屋や御数寄屋・雑舎・蔵を配し、入口には薬医門を構えている。 飫肥城下では最も格式のある武家屋敷である。南面一帯は武学流の作庭といわれる庭園で、広い空間に庭石や石灯籠・庭木などが巧みに配置され、閑静な佇まいの枯山水式庭園である。 (飫肥城下町保存会HPより) 庭園が見えるお座敷では歌と大正琴?の演奏会が行われていました。 飫肥城へ。 大手門 飫肥城本丸跡は癒しの森になっていました。 飫肥城歴史資料館 城下町を散策。静かな…

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