12月2日。
京都旅行のはじまりです
地下鉄・バス1日券というカードを購入しました。
地下鉄では乗り降りするときに機械にカードを通す必要がありますが、バスは降りるときにカードを運転手さんに見せればいいだけなので便利です。
1日券をフルに使って観光です
まずは地下鉄・バスを乗り継いで常照寺へ。
吉野太夫が寄進された山門
山門前に見事なモミジ
本堂でこのお寺ゆかりの吉野太夫の生涯などのビデオが流れていました。
吉野太夫は幼少のころに禿(かむろ、遊女の世話をする少女)として林家に抱えられ、禿名は林弥(りんや)といった。14歳で太夫になる。和歌、連歌、俳諧に優れていて、琴、琵琶、笙が巧みであり、さらに書道、茶道、香道、華道、貝覆い、囲碁、双六を極めたという。
また太夫18人の絢爛豪華な衣装を纏う集いの中、寝床から寝乱れ姿で出てきたにもかかわらず圧倒的な存在感を放ったといわれるほどの美貌を備えていた。
才色兼備を称えられ国内のみならず、遠くは明国にまで「東に林羅山、西の徳子よし野」と聞こえていると言わしめるほど名を知れ渡らせ、馴染み客には後陽成天皇の皇子で近衛信尹の養子である関白近衛信尋や、豪商で、当時の文化人の一人である灰屋紹益がいた。寛永8年(1631年)、退廓・紹益と結婚。時に26歳。
寛永20年8月25日(1643年10月7日)に死去、38歳であった。
彼女は日乾上人に帰依しており、鷹峯(京都市北区)にある常照寺に朱門を寄進したといわれる。太夫自身の墓もここにある。彼女をしのんで毎年4月第3日曜日に花供養が行われ、島原から太夫が参拝し訪問客に花を添えている。
(以上 Wikipediaより)
庭を散策。
遺芳庵茶席
吉野太夫が好んだ丸窓(吉野窓)
よく見るとまん丸ではなく下の方がまっすぐで円形ではありません。
吉野太夫が月も満月過ぎると欠けてしまう、自分はどうだろう?と問いかけていたそうです。
吉野太夫は美しく頭がいいだけではなく、人としても謙虚な心を持つ素晴らしい人だったようですね。
お参りして少しはそんな人に近づければいいのですが・・・
この記事へのコメント
eko
才色兼備の吉野太夫ゆかりの常照寺、紅葉がまだ綺麗ですね。落ち葉の降り積もった庭が風情がありますね。
38歳で他界とは美人薄命ですね。
かるきち
吉野太夫ゆかりのお寺、散り始めたモミジも多かったですがまだきれいなものもありました。38才で亡くなった吉野太夫。当時の寿命は現代に比べるとかなり短命だと思いますが、38才はまだまだ若いですよね。
ミズバショウ
デミ
紅葉の京都が一番美しいでしゅねっ
どのお寺さんに行っても、モミジは大切にされてましゅねっ
上手く撮りきって、吉野太夫が浮かび上がって気そうでしゅ
ナイス・!・・・☆
miya
下から2枚目のお写真が、とても素敵です。
南天の実も真っ赤できれいですね。
yasuhiko
京都の西北にあるお寺さんですよね。
光悦寺などのお寺巡りをした時に、
寄ったはずなんですが、記憶がおぼろげで…。
ただ、この吉野太夫の丸窓だけは覚えてるので、
間違いないと思うんですが。
信徳
シットリ感のあるお寺さんですね。吉野窓が素適だしチラリ外が見えているのも良いですね。
常照寺をお参りして少しでも太夫さんの気持ちになれた事でしょう。
るなまる
静かな佇まいあっていいですね
丸窓の趣きとかさすがです♪
かるきち
ここは訪れる人も少なく静かでした。吉野太夫ゆかりのお寺は彼女の人柄をしのばせるような佇まいでした。
かるきち
京都のモミジってどうしてこんなにもきれいなんだろうって思えました。吉野太夫の面影も感じられそうなお寺でした。
かるきち
京都も寒くなっていました。吉野窓から見える紅葉が素敵でした。ナンテンも真っ赤ですね。
かるきち
はい、常照寺は洛北にあり、光悦寺も近くにあります。
今回は光悦寺には行きませんでしたが、光悦寺も趣あるお寺でしたね。この吉野窓、素敵ですね。
かるきち
京都観光は静かなお寺から始めました。^^吉野窓から見える紅葉も素晴らしかったです。それでも吉野太夫の境地にはなれないですね^^;
かるきち
このあたりは静かで落ち着いた場所でほっとしました。
吉野窓から見える紅葉が素敵です。こうした風景が心に染みますね。