妙本寺の横道を行くと蛇苦止堂というお堂がありちょっと興味をそそられて行ってみました。
蛇苦止堂のいわれは
1203年(建仁3年)、比企能員が北条時政邸で暗殺され、比企ヶ谷の比企一族は、北条義時らに攻められ滅ぼされた(比企の乱)。
二代将軍源頼家の側室であった若狭局(能員の娘)は、家宝を抱えて井戸に飛び込み自害したと伝えられている。
『吾妻鏡』によれば、1260年(文応元年)、北条政村(のちの七代執権)の娘は、比企判官能員の娘に祟られ、蛇のような狂態を見せるようになったが、鶴岡八幡宮の隆弁による加持祈祷によって快復した。
のちに政村は、比企の邸跡に、若狭局を蛇苦止明神として祀る社を建立したという。
(以上HPより)
ここも私一人で静かな時間を過ごしました。
石段の脇にムラサキハナナが咲いていました。
今回の目的のお寺に行く途中、ふと目に付いた神社にも立ち寄り。
八雲神社という神社でした。
八雲神社は、「八雲さん」、「お天王さん」の愛称で親しまれている大町の鎮守。
新羅三郎義光が兄八幡太郎義家の助勢(後三年の役)のため奥州に赴く途中で鎌倉に立ち寄った際、疫病が流行っていたため、京都の祇園八坂社の祭神を勧請したのが八雲神社の始まりと伝えられている。
室町時代には、佐竹屋敷の祠が合祀され、「佐竹天王」とも称され、江戸時代には将軍より朱印も賜り、「祇園さま」として尊崇された(参考:大寶寺)。
明治維新を迎え、鎌倉祇園社という名称から八雲神社に改称された。
七月の神幸祭(大町まつり)は、神輿渡御で知られ、幼児を抱いての「みこしくぐり」は、子の無事な成長を祈願する。
(以上HPより)
この記事へのコメント
無門
日本の多くの神社のいわれは
怨霊封じが多いですね
霊がそれほど身近な時代だったのでしょうね
peko
ひっそりと咲く花...
お寺や神社に似合いますね~
謂われのある神社で静かに過ごすのも
良いですね~~
応援です☆
応援です☆
るなまる
静かな佇まいを訪れるのもいいですね~
ムラサキハナナも良いですね
mori-sanpo
古代には、怨霊や疫病を加持祈祷により神社に祀って安心を得ていたようですね。
ムラサキハナナ、いい色ですね。
イッシー
神社の名前からして怖そうです。
それぞれにいわれが色々あるんですね。
HT
歴史のある街を、そしてお寺さんを歩かれているのはいいですねぇ。見るもの見るものなんでも被写体になってしまいそうですね。
お堂も確りされたものですよね。こちらにあるお堂は田舎ですから、ほとんどが傷んだものばかりです。お花も沢山咲いていらしたのでしょうね。
デミ
色々と、言われの多い神社でしゅねっ
歴史を感じるには、少し手入れがほしいかなぁ~
この方がいいのかどうかはわかりませんがぁ~・・
こう言った場所でゆっくり時間を過ごせるのに鎌倉はいい場所でしゅよねっ ナイス!…☆(^-^)
ミズバショウ
茜雲
かるきち
かるきち
かるきち
かるきち
かるきち
かるきち
かるきち
かるきち
かるきち
はるる
知ってまた改めて見ると、気持ちも厳かになります。
かるきち