鎌倉散歩 海蔵寺

北鎌倉から鎌倉へ向かいましたが、どっちの方面に進もうか考えてました。 大通りをまっすぐ行って建長寺へ。または亀ヶ谷切通しを抜けて海蔵寺や英勝寺へと。 結局亀ヶ谷切通しを抜けるコースを選び海蔵寺に向かいました。 国指定史跡の亀ヶ谷切通しは扇ヶ谷と山ノ内を結ぶ急坂です。現在も生活道、そして北鎌倉へ通じる裏道として使われています。 緑の中を歩くのが楽しい。 切通しを抜けて海蔵寺経向かいました。途中大きなカキの木 扇ガ谷の最奥にある深い緑に囲まれた臨済宗建長寺派の寺。もと真言宗で、1153(建長5)年、宗尊親王の命により、藤原仲能が本願主となって七堂伽藍が再建されました。しかし、1333(元弘3)年の鎌倉幕府滅亡の際、兵火によって七堂伽藍が焼失したため、1394(応永元)年に第二代鎌倉公方足利氏満の命により、上杉氏定が禅宗寺院として再建しました。開山は謡曲『殺生石』で有名な心昭空外(源翁禅師)で、以後扇ガ谷上杉氏に外護されました。1791(寛政3)年の境内図によると、主な伽藍配置は現在とほぼ同じで、塔頭七ヵ院とともに描かれています。 仏殿(薬師堂)は1775(安永5)年に浄智寺から移したもので、薬師像の顔を胎内に納めた薬師如来像(別名啼薬師)や十二神将像等が祀られています。 (以上 鎌倉市観光協会HPより) 海蔵寺は鎌倉からも北鎌倉からもちょっと離れているのであまり訪れる人も多くない。静かなお寺でした。 本堂 和傘がきれい …

続きを読む

鎌倉散歩 明月院

円覚寺から明月院へ。 明月院はアジサイの季節は本当に大混雑。 今回はさほどの混雑もなく静かなお寺の雰囲気を味わいました。 ササリンドウがとてもかわいい。 明月院を入ってすぐにお花がいっぱいの花壇があります。 両側にアジサイが咲き乱れていた山門も人気もなく静かでした。 山門を入って本堂にお参り いつもながらここの方丈窓はすてきです。 並んで撮影を待つのですが、今回は数人だけだったのでほとんど待たずに。   方丈窓の外もまだ緑色ですね。 きれいに紅葉した木もありましたが、まだ大半は緑のモミジでした。

続きを読む

鎌倉散歩 円覚寺

14日、久しぶりに鎌倉へ。 北鎌倉駅で降りてまずは円覚寺 紅葉はほとんど見られず、まだ青い葉っぱが多くて残念。 紅葉にはちょっと早かったようです。 山門 山門をくぐり仏殿に 仏殿の天井絵は白龍図 ご本尊は宝冠釈迦如来坐像 広い境内で色づいてきた木も見られました。 サザンカも咲いています。 サザンカを見ると季節が確実に動いているなと思いました 円覚寺の境内一番奥にある黄梅院 小さなお寺ですが、お庭にいろいろな植物が見られるのがうれしい 椿の花が一輪 素朴なつくばいが迎えてくれました。 木彫りの仏様 北鎌倉から鎌倉へ。 ワンデートリップにしばしお付き合いくださいね。

続きを読む

ご近所散歩 安世院

安世院のお花には雫が付いていないものもありましたが、小さなお花がとてもかわいかったです。 ホトトギスも頑張っています。 イソギク 名前は不明 アキチョウジ 名前不明その1 名前不明その2 ノトスコルダム・モンテビデンセと名札が付いていました 何だろうと調べてみました。別名キバナハナニラだそうです。 小さなお花がひっそりと咲いていました。

続きを読む

ご近所散歩 雫ハンター

12日(日)朝方降った雨で雫残っているかもと、久しぶりの雫ハンター出動! あまり雫が残っていなかったけれど、見つけるとちょっと嬉しい。 丸い雫がありました。 このあと中山法華経寺の安世院に向かいます。

続きを読む

足利灯り物語 史跡足利学校4

去年は足利学校のライトアップも南庭園の和傘と花手水だけでしたが、今年はもう1か所ライトアップされていました。 裏手の池の竹灯り 池に映る灯りがとても幻想的 足利灯り物語を十分楽しみました。 足利灯り物語は11月12日(日)まで行われていました。

続きを読む

足利灯り物語 史跡足利学校3

庭園の池の前に仁・義・礼・智・信の花手水と和傘 仁 青バラ 青カーネーション 青白デルフィニウム 水色ブルースター 義 白スプレーマム 白ピンポンマム 白カスミソウ 礼 赤カーネーション 赤バラ 赤ガーベラ 赤千日紅 智 紫トルコギキョウ 紫白カーネーション 青バラ 信 黄バラ 黄ガーベラ 黄スプレーマム 黄ピンポンマム 色ごとにまとめられた花手水。すてきでした。

続きを読む

足利灯り物語 史跡足利学校1

史跡足利学校へ行きました。 足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、室町時代の永享11年(1439)関東管領・上杉憲実(うえすぎのりざね)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元(かいげん)を招いて初代の庠主(しょうしゅ=校長)とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してからです。 足利学校は、応仁の乱以後、引き続く戦乱の中、学問の灯を絶やすことなくともし続け、学徒三千といわれるほどに隆盛し、天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されました。 江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年に幕をおろしましたが、廃校直後から有志による保存運動が展開されるなど、郷土のシンボル、心のよりどころとして足利学校の精神は市民の中に連綿として生き続け、平成2年の復元完成へとつながり、教育の原点、生涯学習の拠点として、新しい学びの心の灯をともしています。 (以上 足利市公式HPより) 学校門に向かう道には銘仙行灯と花手水が飾られていました。 ほのかに光る小さなライトもかわいい 学校門から中に入りました。 学校門の中に入ると和傘がライトアップされていました。 孔子廟も明るく照らされていました。 中に…

続きを読む