しまなみ海道 因島 因島水軍城

次は村上海賊の資料館、因島水軍城へ。 因島水軍城も小高い場所にあります。 今回の旅行はほぼ高い場所へ行っています。 足腰丈夫のうちじゃないとしんどいところばかりだな~~と思いました。 石段・坂道を上りようやく入り口に。 資料館の展示物 因島水軍城は因島村上氏が残した武具や遺品・古文書など歴史資料を展示しています。 村上海賊は室町時代から戦国時代にかけて、芸予諸島を中心に活動した海賊(水軍)です。 現在の尾道市の因島、今治市の能島、来島を本拠地とした三家に分かれ、時には結束し、時には互いに戦いながら、瀬戸内のほぼ全域の海を支配していました。 芸予諸島は、昔から多くの島々があり、その間には激しい潮流がながれていました。また、瀬戸内海の中央に位置し、大阪や九州へ向かうには必ず通行しなければならない場所です。こうした場所を支配することで、瀬戸内海全体の海上交通を支配できるわけです。 「海賊」という言葉は、現在では海上を航行する船や沿岸地域から強引に物資等を奪う人々を指します。因島村上氏が活躍していた頃は、海で活動し、通行料が払われなければ強奪することもありますが、普段は札浦(関所)で通行料を徴収し、水先案内人として、瀬戸内海の各地域との交渉もしていました。また、中国などの海外諸国とも交易をしたり、平時は漁業者として活動もしていました。まさに 「海とともに生きる人々」だったのです。ですから、現在の海賊という言葉と当時の海賊は意味…

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