しまなみ海道 生口島 耕三寺

朝方、千葉県沖で地震がありました。 まだ夢の中でしたが、地震が起きる前にスマホがキュインキュイン鳴って、「地震です、地震です」と。 その数秒後、ドーンという感じで揺れましたが、一瞬だけですぐに揺れも止まりました。 そんな感じで、あまり怖さも感じなくてまた夢の中に。 ご心配をおかけしました。 次の島・生口島へ。 生口橋(橋長790m) 生口島に到着 耕三寺・未来心の丘へ行きました。 耕三寺 初代住職・耕三寺耕三が母親の菩提寺として、昭和11年より30年余りの歳月をかけて建立した浄土真宗本願寺派の寺院です。 山門に入るとたくさんの芍薬が咲いていました。 五重塔を見ながらまた石段を登って孝養門へ。 本堂 本堂脇に千仏洞へ。 千仏洞は洞窟の中にたくさんの仏様がありました。 ここも深くて洞窟の中を上がったり下りたり。でも中は涼しくて気持ちいい 手ブレていますが、こんな仏様がたくさん安置していました。 千仏洞から出るとまた大きな救世観音大音像が 規模の大きさにびっくりしました。

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しまなみ海道 因島 因島水軍城

次は村上海賊の資料館、因島水軍城へ。 因島水軍城も小高い場所にあります。 今回の旅行はほぼ高い場所へ行っています。 足腰丈夫のうちじゃないとしんどいところばかりだな~~と思いました。 石段・坂道を上りようやく入り口に。 資料館の展示物 因島水軍城は因島村上氏が残した武具や遺品・古文書など歴史資料を展示しています。 村上海賊は室町時代から戦国時代にかけて、芸予諸島を中心に活動した海賊(水軍)です。 現在の尾道市の因島、今治市の能島、来島を本拠地とした三家に分かれ、時には結束し、時には互いに戦いながら、瀬戸内のほぼ全域の海を支配していました。 芸予諸島は、昔から多くの島々があり、その間には激しい潮流がながれていました。また、瀬戸内海の中央に位置し、大阪や九州へ向かうには必ず通行しなければならない場所です。こうした場所を支配することで、瀬戸内海全体の海上交通を支配できるわけです。 「海賊」という言葉は、現在では海上を航行する船や沿岸地域から強引に物資等を奪う人々を指します。因島村上氏が活躍していた頃は、海で活動し、通行料が払われなければ強奪することもありますが、普段は札浦(関所)で通行料を徴収し、水先案内人として、瀬戸内海の各地域との交渉もしていました。また、中国などの海外諸国とも交易をしたり、平時は漁業者として活動もしていました。まさに 「海とともに生きる人々」だったのです。ですから、現在の海賊という言葉と当時の海賊は意味…

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5月2日 しまなみ海道 因島1

旅行期間中ずっといいお天気で観光日和でした。 2日はずっと行きたかったしまなみ海道へ。 しまなみ海道は尾道から向島~因島~生口島~大三島~伯方島~大島~愛媛県今治市へと渡る西瀬戸自動車道が走っています。 尾道から向島は有料道路を走らなくても国道317号線で尾道大橋を渡ると無料です。 向島は通過のみで向島ICから有料道路へ。 いよいよしまなみ海道を走ると思うとワクワクします。 因島大橋(全長1270m)を渡って因島へ。 因島に入るとすぐ大浜PAがあり、PAから橋を間近に見られる歩行者専用の通路があります。 もちろん歩きました。 サイクリングする人たちもたくさん。 自動車道路の下には二輪車用の道路があります。 ちょうど車と自転車が走りました。 この赤い橋は向島と小さな岩子島を結ぶ橋。 岩子島は周囲約8キロしかないそうです。 パーキングエリアだけでもたっぷり景色を楽しみましたが、次へ行かなくては。 因島では白滝山と五百羅漢、因島水軍城へ。 白滝山と五百羅漢へまずは行きました。 標高227mの白滝山は因島村上水軍6代当主村上新蔵人吉充が観音堂を建立し、柏原伝六とその弟子たちによって五百羅漢の石仏が造られました。 頂上には大小約700体の石仏が所狭しと並んでいます。山頂からは瀬戸内海の多島美が眼下に広がり、その眺めの素晴らしさに歌人・吉井勇は「白滝の山に登れば眼路広し、島あれば海、海あれば島」…

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5月1日尾道散歩2

千光寺ロープーウエイの山麓駅近くの艮神社(うしとらじんじゃ)の境内を抜けて猫の細道で帰ります。 境内にはクスノキの大木が4株あり、「艮神社のクスノキ群」として広島県指定の天然記念物(指定日:昭和63年12月26日)となっている[4]。このうち境内の入口近く、拝殿の手前にある1株が最大で、地上から3メートルほどのところで幹が3つに分かれている。幹には苔がたくさん付着している。このほか、社殿脇の巨岩のそばに1株、背後に2株がある。これらの楠は樹齢900年と推定されており、幹の直径は7mになる (以上Wikipediaより) 猫の細道 艮神社の東側から天寧寺三重塔にかけて続く約200mの細い路地。 作家の園山春二先生が生み出した「福猫石」を1998年よりこの路地に置き始め、この愛称で呼ばれるようになりました。 狭くて案外急な石段があったり、道自体はあまり良くないので登るのに疲れます。 でも置いてある福猫石さんに癒されました。 本物のニャンコにも出会えましたよ。 この道からも眺めは最高! 天寧寺の三重塔を眼下にまだまだ上ります。 尾道も坂道が多く細い道も多いようでここに住むには足腰丈夫じゃないと辛いなぁなんて思ったりしました。 途中広場がありここもきれいな藤棚がありました。 隠遁の術を使っている猫発見!? 駆け足で尾道散策しましたが、念願の尾道を歩けてうれしいです。 …

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5月1日 尾道散歩

ロープーウエイで下に降りてきてしばし尾道本通り商店街を散策。 尾道本通り商店街は全長約1.2キロにわたる日本有数の長さを誇る商店街で芙美子通り、中商店街、本町センター街、絵のまち通り、尾道通りの5つの商店街で構成されています。 レトロなお店がそのまま残っていたり、レトロなお店を改造し今風のお店として使われていたり、見ながら歩くのがとても楽しい。 面白い建物はカフェとゲストハウスの建物でした。 あくびカフェ・あなごのねどこ 中を通ってゲストハウスの入り口に入るようで、私たちはなんだかわからなかったので奥まで行ってみました。 お風呂屋さんを改造した食べ物屋さん 商店街を歩いていると本当に楽しくてついつい写真が増えてしまう。 商店街を出て海岸通りを歩くととてもきれいな市役所があり、展望デッキもあったので行ってみました。 海の向こうは向島。目と鼻の先です。 そして山もすぐ 千光寺が見えました。 市役所向かいのおのみち映画資料館に入りました。 中は撮影禁止です。 古い映画のポスターが展示されていたり、ミニシアターで尾道ゆかりの映画予告編を見ることができました。 商店街でお昼ご飯を頂いて、再び千光寺公園の駐車場に向かって登ります。 尾道ラーメンが有名でラーメン店はどこも行列。 尾道ラーメンも魅力的でしたが、広島焼き食べたい!と思っていましたが、広島焼きのお店は少なくてそこも…

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5月1日 尾道散歩 千光寺

5月1日から5日まで尾道~しまなみ海道~松山~高松へと旅行してきました。 ボチボチ旅行記つづっていきますのでよろしくお願いします。 5月1日は朝7時5分羽田発-8時30分広島着の飛行機で。 羽田空港はGWで混雑しているので早めに行動。 飛行機からは残念ながら富士山と反対側の座席だったので見られず残念。 でも山々の緑や残雪を見られました。 広島空港に着陸前、山肌がすぐ近くに迫ってくるようで迫力ありました。 定刻に到着。 広島空港は今月行われる広島サミットの影響で警官の姿があちこちで見られました。 レンタカーを借りて尾道へ出発! 広島市内は尾道と反対方向で、広島市内へ行くとかなり時間がタイトになってしまうので広島市内は断念。 またいつか行けるといいなぁと。 尾道はまず千光寺公園に  ツツジが満開!   藤の花もまだまだ咲いていて藤棚もきれいでした。 千光寺へ向かいます。 行ながらも海が見える風景にテンションが上がりました。 岩割の松 岩鼓 木槌がこの岩の上に置いてあり、岩を叩くと石を叩くというよりももっと軽い音がしました。 千光寺へ入りました。 大宝山権現院千光寺は標高百四十米、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、 (大同元年・806年)弘法大師の開基で中興は多田満仲公と伝えられています。 珍しい舞台造りの本堂(貞享3年・1686年)は別名「赤堂」とも呼ば…

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