ご近所散歩 じゅん菜池緑地公園&江戸川夕景

京都で散々紅葉を見てきましたが、じゅん菜池緑地公園にも出かけて市内の紅葉を見てきました。 池に流れ込む小さな流れにも散紅葉 池にはたくさんの鴨さんがいました。 ぐるっと池の周りを1周回ります。 これは桜? まだきれいな紅葉がありました。 ヤツデの葉っぱの上に小さなモミジがかわいい 鴨さんも紅葉狩り? じゅん菜池緑地公園のモミジに間に合いました。 別の日。 江戸川の土手から。 ちょうど日の沈む時間でした。 標準レンズの撮影なのでとても景色が小さいですが、ご容赦を。 富士山も姿が見えました。 お!スカイツリーに梯子?? 土手の上を歩いて見た方向でこんなにも違っていました。 またスカイツリーにお日様刺さっていませんが、スカイツリーに梯子がかかりました。

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京都旅行記  ラスト

長い間お付き合いいただいた京都旅行記。 これで最後です。 源光庵、圓光寺は何回か京都に来ていて行けなかったり、行かなかったりしたところでした。 今回はそのリベンジ。 そのおかげで行くことができて良かったです。 圓光寺も1時間以上いてじっくり見ることができました。 本当は詩仙堂にも行くつもりでいましたが、詩仙堂は前に行ったことがあったので今回は行かずでした。 最後に再び清水方面へ。 それが失敗でした。 土曜日ということもあって清水あたりは大混雑。 八坂の塔の坂も人でごった返していました。 八坂の塔の近くにインスタ映えするお寺 八坂甲辰堂のくくりざる 滅茶苦茶混んでいてぐったり。 さすがにここでこんなに人がいたら清水寺や三年坂など歩けたものではないと、行くのをやめて京都駅に向かうバス停へ。 バス停も行列が出来ていて乗り込んでもすし詰め 今考えたら、京都駅方面に乗らずに、河原町の方面へ向かって地下鉄に乗った方が良かったなって思いました。 また、来年のための勉強としておきましょう。 最後は京都駅にあるお店でパフェで一息 まるとパフェ(玉露) 3日間、今年もゆっくりお茶することも少なく観光三昧でした。 毎回、次回は3泊したいと言いながら2泊3日。 来年こそ3泊4日でゆったりとした日程で観光したいですが、どうなることやら。 それでもまた素晴らしい紅葉と寺社仏閣を見ることができました。 …

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京都旅行記 圓光寺2

圓光寺の庭はとても広く竹林や上に上がっていくと徳川家康公の歯を埋葬した東照宮があります。 竹林に小さな水たまり。 上に登っていくと見事な紅葉! 家康公の墓 風でモミジが散りました。ちょっとぶれていますが、散ったモミジも撮れたはず 残り少ないモミジもいい感じ。 上から見下ろすと京都の街も見えました。 再び降りてきてもう一度庭へ。 琳派彩還(りんぱさいげん)四季草花図 四季を描いた襖絵が美しい 白いサザンカ椿(侘助)もきれいでした。 ↑ekoさんに教えていただきました。いつもありがとうございます。

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京都旅行記 圓光寺1

金福寺から圓光寺へ 圓光寺も事前予約が必要でしたが、当日予約でも受付できました。 予約制とはいえかなりの人が訪れていて、海外からの団体さんもいらしていました。 圓光寺(えんこうじ)は、京都市左京区一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺院。南禅寺派研修道場として坐禅会などが実施されている。慶長6年(1601年)に、徳川家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校としました。圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許しました。その後、圓光寺は相国寺山内に移り、更に寛文7年(1667年)現在の一乗寺小谷町に移転されました。 圓光寺では日本で初期の活字本の一つである「伏見版」の印刷事業が行われ、孔子家語・貞観政要など多くの書籍を刊行し、これらの書物は「伏見版」または圓光寺版と称されました。また、当時、出版に使用された木活字が現存しています。 寺内には本尊千手観音像(伝運慶作)が祀られ、円山応挙筆、絹本着色開山元佶禅師像・紙本墨画竹林図屏風六曲・近世初期製作の木製活字五万個(重要文化財)があります。 (以上 京の観光スポットHPより) 中に入ってまず迎えてくれるのが奔龍庭(ほんりゅうてい) 渦を巻き様々な流れを見せる白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組みであらわした平成の枯山水でもある奔龍庭。 そして十牛之庭(じゅうぎゅうのにわ)と呼ばれる苔とモミジ、敷モミジの美しい庭園があります。 …

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京都旅行記 金福寺

3日(土) 京都旅行の最終日。 ホテルで荷物を発送してもらってチェックアウト。 この日も地下鉄・バス1日券を購入し、観光スタート! 午前中1番に出かけたのは金福寺 このお寺は詩仙堂にほど近いお寺です。 864年(貞観6)円仁(慈覚大師)の遺志を継ぎ、安恵僧都が創建。江戸中期に鉄舟和尚が再興し、現在は臨済宗南禅寺派。松尾芭蕉が鉄舟と親交を深めたという芭蕉庵は荒廃したが、のち与謝蕪村が再興。紅葉が美しい。背後の丘に与謝蕪村ら近世の俳人の墓や句碑がある。また、舟橋聖一作歴史小説「花の生涯」や諸田玲子の「奸婦にあらず」のヒロイン村山たか女は文久2年、勤皇の志士によって三条河原でさらし者にされたが、3日後助けられて金福寺に入り尼として明治9年まで14年間すごし、当寺で生涯を終った。法名は清光素省禅尼と云う。本堂では与謝蕪村と村山たか女の遺品が拝観できる。庭園は皐月の築山と白砂の簡素な枯山水。3段の生垣ごしには素朴な趣の芭蕉庵の萱葺き屋根が見える。3月は紅梅とあせびの花、11月はさざんかと紅葉が美しい。芭蕉庵からは洛中が一望できる。 (以上 京都観光ナビHPより) 小さな門をくぐり、本堂と庭園へ。 ドウダンツツジと赤いモミジが美しい。 本堂には村山たか女の資料などが展示されていました。 本堂から眺めた枯山水庭園 枯山水の庭園の横道から上に登っていきました。 小高い場所に与謝蕪村のお墓が…

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京都旅行記 瑠璃光院

2日目の最後に訪れたのは瑠璃光院 ここは毎年訪れているお寺です。 黒い大きなテーブルに映る紅葉が床モミジのように見えて素晴らしいと評判です。 インスタ映えの写真が撮れるので若い人たちが多い。 例年5時過ぎ、閉館間近で訪問していましたが、今年は4時半過ぎに予約を取り訪れました。 瑠璃光院へ向かう道すがら、八瀬比叡山口駅近くで見た紅葉がとても美しい。 瑠璃光院のモミジも真っ赤 夕方はまだ明るいのであまりテーブルモミジも映えません 今年は瑠璃光院の紅葉は時期が遅かったのか、色もあまりきれいではなくて。 だんだん陽が落ち始め暗くなってくるとテーブルモミジもはっきり見えてきました。 瑠璃光院も予約制ですが、結構緩い予約で、おおむねその時間に入ればお寺にいつまでも居られました。 今年は本当にここにやって来る人が多く、テーブルにカメラを乗せるようにして写すので空くのを待っているのも争奪戦みたいな感じ 中には待っている人がいるのにいつまでもテーブルにかじりついている人もいてちょっと辟易。 来年はもういいかな、って思ってしまいました。 写経ができるスペースがあって心を落ち着けてしばし待って、若干人が少なくなってから写真を撮りました。 テーブルモミジが見られるのは2階、1階からは瑠璃の庭・臥龍の庭と呼ばれる庭園が見られました。

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京都旅行記 今宮神社&知恩院

前日今宮神社の記事を前回途中で中断していたので、また書いてブログに保存していたはずなのですが、昨日ブログが更新されていたのを見ると書き足した記事が消えていた!?保存し忘れたようなので、書き足しますね。 平安建都以前より、疫神を祀る社があったといわれる。 正暦五年、都の悪疫退散を祈り御輿を造営し紫野御霊会を営んだのが「今宮神社」の起こりである。 予定していた大徳寺めぐりが思いのほか早く終わってしまったので、姉が行ってみたいと言っていた知恩院へ。 知恩院は法然上人が布教の拠点とした地に建てられた浄土宗の総本山。 高さ24mの三門は木造の三門としては世界最大級。 姉が見たいと言っていた鐘楼堂(元禄十六年 一七〇三) 吊られている梵鐘は珍しい朝鮮様式のものです。その特徴として鐘の吊るす部分である竜頭の横に筒状の音が抜ける為の旗指があり、模様も瑞雲や仏を描き日本の和鐘と違った趣となっています。 鐘楼堂は小高いところにあり、段々を登っていくのが結構大変でした。 戻る道は迂回して下り坂を行くと円山公園に入っていました。 公園内もモミジがとてもきれい。 このあたりは、清水寺などもほど近いので観光客も多い。 着物を着て写真を撮っている海外の人たちもたくさんいました。

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京都旅行記 大徳寺&今宮神社

源光庵を見た後はバスで北大路バスターミナルへ。途中大徳寺へ行けるバス停で乗り換えました。 京都市内はバス路線が充実しているので観光で利用するのにとても便利ですが、方向音痴な私は交差点などにあるバス停では目的の方向のバスを間違えて、行先をもう一度確認してとてんやわんや まあ、そう言うことも旅のいい思い出ですね。 大徳寺は今まで行ったことないお寺で、初めての訪問です。 臨済宗大徳寺派の大本山で龍 寶山と号する。 鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。 勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休居士自決の原因となった話は有名。本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。方丈の正面に聚楽第から移築した唐門(国宝)がある。方丈内の襖絵八十余面(重文)はすべて狩野探幽筆である。什宝には牧谿筆観音猿鶴図(国宝)、絹本着色大燈国師頂相(国宝)他墨跡多数が残されている。(10月第二日曜日公開)現在境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が甍を連ね、それぞれに貴重な、建築、庭園…

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京都旅行記 源光庵

この日、一番行きたかったところが源光庵 実は常照寺も源光庵も4年前に姉と姪、3人で訪れた場所でした。 その時源光庵は庫裡の工事中で拝観停止。今年ようやく拝観再開されました。 源光庵へ 源光庵は正式な名を鷹峰山宝樹林源光庵という曹洞宗の寺院です。 今から約670年前の貞和2年(1346年)、臨済宗大徳寺2代・徹翁国師によって開創され、 元禄7年(1694年)に加賀・大乗寺27代・卍山白道禅師が住持、以降、曹洞宗の寺院となりました。 本堂は卍山禅師に帰依した金沢の富商・中田静家居士の寄進によって元禄7年に建立され、 ご本尊として華厳の釈迦牟尼佛、脇立に阿難尊者、迦葉尊者をお祀りしています。 (以上 源光庵HPより) そして一番見たかった、「迷いの窓」と「悟りの窓」 迷いの窓 円迷いの窓の⾓型は 「⼈間の⽣涯」を象徴し、 ⽣⽼病死の四苦⼋苦を表しています。 悟りの窓 悟りの窓の円型は 「禅と円通」の⼼を表し、 円は⼤宇宙を表現しています。 本堂の⾎天井は、伏⾒桃⼭城の遺構です。 慶⻑5年7⽉(1600年)徳川家康の忠⾂・⿃ 居彦右衛⾨元忠⼀党1800⼈が⽯⽥三成の軍 勢と交戦し討死、残る380余⼈が⾃刃して相 果てたときの恨跡です。 写真は撮りませんでしたが、足跡がはっきりとわかります。 私自身は迷ってばかりですが、「迷いの窓」と「悟りの窓」…

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京都旅行記 常照寺

12月2日。 京都旅行のはじまりです 地下鉄・バス1日券というカードを購入しました。 地下鉄では乗り降りするときに機械にカードを通す必要がありますが、バスは降りるときにカードを運転手さんに見せればいいだけなので便利です。 1日券をフルに使って観光です まずは地下鉄・バスを乗り継いで常照寺へ。 吉野太夫が寄進された山門 山門前に見事なモミジ 本堂でこのお寺ゆかりの吉野太夫の生涯などのビデオが流れていました。 吉野太夫は幼少のころに禿(かむろ、遊女の世話をする少女)として林家に抱えられ、禿名は林弥(りんや)といった。14歳で太夫になる。和歌、連歌、俳諧に優れていて、琴、琵琶、笙が巧みであり、さらに書道、茶道、香道、華道、貝覆い、囲碁、双六を極めたという。 また太夫18人の絢爛豪華な衣装を纏う集いの中、寝床から寝乱れ姿で出てきたにもかかわらず圧倒的な存在感を放ったといわれるほどの美貌を備えていた。 才色兼備を称えられ国内のみならず、遠くは明国にまで「東に林羅山、西の徳子よし野」と聞こえていると言わしめるほど名を知れ渡らせ、馴染み客には後陽成天皇の皇子で近衛信尹の養子である関白近衛信尋や、豪商で、当時の文化人の一人である灰屋紹益がいた。寛永8年(1631年)、退廓・紹益と結婚。時に26歳。 寛永20年8月25日(1643年10月7日)に死去、38歳であった。 彼女は日乾上人に帰依しており、鷹峯(京都市北区)にある常照寺に朱門を寄…

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